靖国神社参拝1945.8.15 終戦記念日、 負けを終わりと誤魔化し、敗戦を終戦と言い換え、占領軍を進駐軍と呼び、事実から目をそらして来た。 靖国神社参拝が問題視されるのは日本が戦争に負けたからで、勝っていればA級戦犯も居なくて戦勝記念日のお祝いであったはずだ。 靖国惨敗の呪い 1948.12.23 当時は皇太子、今は平成天皇の誕生日、この日を、呪われし日とするために、A級戦犯7名が処刑された。 靖国神社に お参り した。(2010.7.4 sun) ついで参りであったが、クラス会の方が参拝のついでだった事にしなくちゃ英霊に失礼か。 み魂祭りが近く参拝者で賑わっていた。 一人事故死で一億なら対策費一兆で計算上は殺した方が安上がりでも、建前は万全の安全対策を講じると言う筈で、命の価値に 違いは無い、死ねば皆、仏様と言いながら、A級戦犯の霊の重みは、一兵卒の何万人分の騒がれ様である事か! 昭和天皇は、A級戦犯の東條英機は話せば判るし、一生懸命、と語り、圧政家の評判が立ったのは、本人が多くの職をかけ持ちしすぎ 気持が下に伝らなかった事、憲兵を使い過ぎた所為とし、逆に、松岡洋右には厳しく、ヒットラーに買収されたのでは、とまで言った。 「昭和天皇独白録」(文藝春秋) 大戦末期に戦艦大和の特攻出撃を命じた小沢治三郎中将は「全般の空気よりして、当時もこんにちも特攻出撃は当然」と戦後も述べた。 日本軍では、攻撃によって何を達成するかという目標よりも、組織の中での空気の共有が重要だった。 「空気」の研究(山本七平) 国際社会は常時熾烈な資源の分捕り合戦で自国の利益を追求し、軍事力が強大であれば戦争も辞さずと威嚇する。 軍事力が均衡して初めて対等外交が出来、これが平和なのである。 (田母神俊雄) 魅魂祭り ≒7.15 |